景福宮
概要
景福宮(キョンボックン、경복궁)は、朝鮮王朝の正宮(正宮)かつ法宮(法宮)であり、1395年(太祖4年)に漢陽(ハニャン)遷都とともに創建された。「景福(キョンボク)」は『詩経(詩經)』の「君子萬年 介爾景福(君子万年、爾に景福を介せ)」から取った言葉で、「大きな福を享受せよ」という意味が込められている。ソウル特別市鍾路区社稷路161に位置し、朝鮮の五大宮殿(景福宮・昌徳宮・昌慶宮・徳寿宮・慶熙宮)の中で第一に数えられる王朝の象徴的空間である。
主要な内容
建立と歴史
景福宮は、太祖(テジョ)李成桂(イ・ソンゲ)が漢陽に遷都した直後の1395年に創建され、鄭道伝(チョン・ドジョン)が主要な殿閣の名前を名付けた。しかし、1592年の壬辰倭乱(文禄の役)によって大部分が焼失し、約270年間にわたって廃墟として残された。1867年(高宗4年)に興宣大院君(フンソン・デウォングン)の主導で再建されたが、1895年の乙未事変と明成皇后(ミョンソン・ファンフ)殺害事件をきっかけに、高宗がロシア公使館へ居所を移したことで、再び王室の中心地としての地位を失った。日本統治時代には朝鮮総督府庁舎が建てられ、多数の殿閣が撤去・毀損される苦難を経験した。
主要な殿閣
- 勤政殿(クンジョンジョン、근정전): 国宝第223号で、王の即位式・朝会・国賓の接見など国家の主要な儀礼が行われた正殿(正殿)。2層の月台(ウォルデ)の上に建てられた重層入母屋屋根の建物で、庭には品階石(品位を示す石)が並んでいる。
- 思政殿(サジョンジョン、사정전): 王が臣下たちと日常的に政務を論じた便殿。
- 慶会楼(キョンフェル、경회루): 国宝第224号。池の上に建てられた楼閣で、外国使臣の接待や宴会の場として使われた。
- 香遠亭(ヒャンウォンジョン、향원정): 高宗の時代に造成された六角亭子で、「香遠(ヒャンウォン)」は周敦頤(しゅうとんい)の『愛蓮説』に由来する。
- 交泰殿(キョテジョン、교태전)・乾清宮(コンチョングン、건청궁)・慈慶殿(チャギョンジョン、자경전): 王妃の生活空間と、高宗・明成皇后の居所であった乾清宮などがある。
- 光化門(クァンファムン、광화문): 景福宮の正門で、「光で世を教化する」という意味を持つ。
守門将交代式と観覧
景福宮では、毎日光化門の前で朝鮮時代の守門将交代式を再現した行事が行われ、観覧客に重要な見どころを提供している。宮殿内では国立古宮博物館(クンニプコグンハクムルグァン)と国立民俗博物館を合わせて観覧することができる。夜間開場(景福宮星光夜行など)と韓服着用者の無料入場制度は、代表的な観覧プログラムである。
建築的特徴
景福宮は背山臨水(ペサンイムス)の地形を活かして北岳山(プガクサン)を主山とし、南向きに配置され、儒教的礼法に従って正殿-便殿-寝殿の空間秩序を備えている。曲線美が生きている軒、丹青(タンチョン)、雑像(チャプサン)、月台と石造のオブジェは、朝鮮建築美の真髄を見せている。
最新の動向
2024~2025年基準で、景福宮は「宮殿復元」と「デジタル文化遺産」という二つの軸で変化している。興宣大院君の再建当時の姿を取り戻すための長期復元事業が続いており、光化門月台の復元とともに周辺の歴史文化空間の整備が進められた。また、拡張現実(AR)・仮想現実(VR)を活用した宮殿解説コンテンツと夜間メディアアートが導入され、若い世代の関心を集めている。外国人観覧客の数が新型コロナウイルス感染症以前の水準に回復するにつれ、多言語案内と予約制の運営が拡大する傾向にある。韓服体験と宮殿スタンプツアーなど体験型観光も着実に人気を得ている。
関連テーマ
- [[朝鮮]]
- [[光化門]]
- [[昌徳宮]]
- [[興宣大院君]]
- [[漢陽]]
- [[国立古宮博物館]]